【新人教育】5メートルを泳げば褒められる価値観は機会剥奪ではないか
こんにちは。ユウトです。
最近、気合いの入った社員・部下がいないなぁとお嘆きの皆様に対して、私もそう思っているので書かせていただきました。
最近の若者は、どうもやる気がない?
という話だが、価値観そのものが違うので扱い方は変えなければならない(らしい)。自分が新人の頃はどうでしたか?厳しい上司がいてノイローゼになりそうな経験はしてませんか。
私はありました。
売れてないと会社に戻ることすら恐ろしく、上司が帰ったであろう時間を見計らって営業から戻ってくることも。
そのころはどうでしたでしょうか。それでも歯を食いしばり業績達成のためのアクションを絞り出して数字を届かせていった経験はありませんか。
私の場合は、その頃の精神論満載の時代の私と比較をして、「最近の若いヤツは。。」と思っている次第です。
やる気なくなるような育成をしてませんか
いろんな書籍で、世代ごとの価値観が違うので、その世代に合わせた接し方をするのが正しいのだ、という文章を見ることがある。
若い世代はモノが豊かな世代だからハングリーになりにくい環境であった、とか
ケータイが当たり前の世代なので、人と人の対面接触の意義も伝わりにくい、だとか
そのような正しそうな論理に屈して、とにかく優しく接してしまっていないか。極論、赤子が初めてつかまり立ちをしたときに親は溺愛しているので、ワイワイと褒めるものだが、同じ水準の褒め方をしてはいないだろうか。
その褒められ方に馴染んでしまう若者は「これぐらいやれば良いんだ」と決めつけてしまう。
25メートルのプールを泳いでようやくゴールなのに、5メートル泳いで褒められて達成感を感じてしまう子供が増えてしまってるような気がするのである。
そんな育てられ方はある意味若者の未来を奪う重罪ではないか。
達成したいゴールは見せて、個人に考えさせる
世の中の高い壁を見せて、自分がどのようになりたいかを考えさせなければならない。その上で若手が「やる気のなさそうな状態」を選ぶのであれば、それで良いのではないか、と思うのである。
間違えてはいけないのは、だからといって仕事をぶん投げるという行為を行うことは禁物である。高い壁を目指させるのが正しいのであって、無理難題を押し付けるやる気を削ぐということだけは避けたいものである。
では